2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第12回は、吉原の夏祭り「俄(にわか)」を舞台に、蔦屋重三郎が文化の中に“人と人の絆”を見出す感動回となりました。
祭りをめぐる若木屋と大文字屋の対立、平沢常富(朋誠堂喜三二)の正体、平賀源内との関わり、そして蔦重が出版する記念冊子「明月余情」──見どころが詰まったエピソードです。
この記事では、第12話のあらすじとネタバレを整理しつつ、登場人物の動きと文化的な背景、史実とのリンクも交えて詳しく解説します。
- 第12回「俄なる『明月余情』」のあらすじと祭りの展開
- 蔦重・平沢・源内らの思想と出版への想い
- うつせみと新之助の再会が象徴する“自由”の意味
吉原の夏祭り「俄」とは?蔦重が見た“競い合い”の意味
第12回「俄なる『明月余情』」では、吉原で行われる“俄(にわか)祭り”が物語の中心となりました。
この祭りをめぐり、大文字屋(伊藤淳史)と若木屋(本宮泰風)の二大楼主が雀踊りの主導権を巡って火花を散らします。
蔦屋重三郎は祭りを吉原中で盛り上げようと奔走し、文化とは何か、娯楽とは誰のためのものかを見つめ直すきっかけを得ていきます。
若木屋VS大文字屋、火花散る雀踊り対決
「自分たちが吉原一だ」と主張する両陣営は、祭りの“顔”をめぐって対立。
雀踊りの演出をめぐり衝突が続くなか、最終的には“競い合うことで高め合える”という共通の気づきに到達します。
祭りの本質が“勝ち負け”ではなく“共有”であることが、躍動感ある踊りの中に込められていました。
平沢常富の助言と“競争こそ文化”という思想
重三郎に大きな影響を与えたのが、平沢常富(朋誠堂喜三二)による「競争は悪ではない」という視点です。
彼は“互いを刺激し合うからこそ文化は育つ”という信念を持ち、蔦重に新たな出版の可能性と意義を示します。
この思想が、のちに「明月余情」制作への動機づけとなる重要な転機となりました。
朋誠堂喜三二の正体判明!平沢常富の二つの顔
これまで蔦重を導いてきた平沢常富(尾美としのり)の正体が、実は戯作者「朋誠堂喜三二」であるという驚きの事実が第12回で明かされました。
この情報は、平賀源内(安田顕)から蔦重に伝えられ、物語に新たな風を吹き込みます。
重三郎は祭りを描く冊子の文章を源内に依頼しますが、彼は興味を示さず、代わりに“ある人物”を推薦します──それこそが喜三二=平沢でした。
平賀源内の提案で明かされた“戯作者”の正体
源内が自ら書くことを断る場面では、「面白い文章が書ける人物がいる」と語り、喜三二の名を出します。
その人物が重三郎の身近にいた平沢だと判明したことで、視聴者の間にも「なるほど!」という納得と驚きの声が広がりました。
この二重性こそ、江戸文化における“表と裏”“雅と俗”の象徴でもあります。
青本をめぐる版元間のしがらみと、蔦重の悩み
平沢=喜三二の存在は、蔦重にとって強力な味方であると同時に、出版業界における“暗黙のルール”や“しがらみ”を意識させる存在でもあります。
特に、戯作や青本に対する価値観は保守派の版元とは対立しがちで、蔦重自身が「誰のために出版するのか」と問い直す機会となりました。
この構造が、“べらぼう”に生きる重三郎の個性をより際立たせています。
祭りの熱気と“明月余情”|絵と文章で刻まれた一夜
吉原の夏祭り「俄」は、雀踊りを通じて楼主同士の対立から“共に踊る喜び”へと昇華される瞬間を描きました。
その熱気を未来に残したいと願った蔦重は、祭りの様子を絵と文章でまとめた冊子『明月余情』を制作する決意を固めます。
この一夜を記録することが、彼にとって“文化を未来へつなぐ”第一歩だったのです。
勝川春章による挿絵、平沢の序文が彩る祭り記録
『明月余情』の制作には、蔦重と縁の深い絵師・勝川春章(前野朋哉)が挿絵を担当。
さらに、朋誠堂喜三二としての顔を持つ平沢が序文を執筆し、物語性と批評性を兼ね備えた、江戸文化の縮図とも言える一冊が完成します。
娯楽と記録、遊びと教養──そうした“境界を超える文化”こそが、蔦重が信じる出版の理想だったのです。
吉原全体が一つに──雀踊りで結ばれる人々
かつては縄張り意識や見栄で分断されていた吉原の人々が、最後には「同じ町の仲間」として手を取り合って踊る姿は、今作屈指の感動的な場面となりました。
その光景を見つめる蔦重の表情には、“出版で人をつなぐ”という彼自身の原点が垣間見えます。
“にわか”であれ、“一夜”であれ──その情熱が記録されたことにこそ、真の意義がありました。
うつせみと新之助の再会|“自由”を求めたふたりの旅立ち
吉原という閉ざされた世界の中で、自由を夢見て駆け出したうつせみ(小野花梨)と新之助(井之脇海)の物語も、ひとつの転機を迎えます。
第12回では、足抜けに失敗したうつせみが再び楼に戻るも、そこへ新之助が現れ、ふたりは人目を忍んで再会。
“逃げる”のではなく、“希望を持って向かう”という選択が描かれた瞬間でした。
足抜け失敗からの逃避行、その結末は?
前話で描かれた足抜け未遂の余波が残るなか、再会を果たした2人は、短い会話の中で“もう一度、門の外へ出よう”という誓いを交わします。
うつせみの揺れる目線、新之助の穏やかな決意が交差し、沈黙が多くを物語る静かな名場面となりました。
彼らの“逃げ場”ではなく“生きる場”を求める旅が、次なる局面へとつながっていきます。
「大門の向こう」へと向かう希望の象徴
ラストで描かれた、うつせみと新之助が手を取り合い、吉原の大門を見つめる後ろ姿は、「自由」という言葉の象徴でした。
世間や身分に翻弄されながらも、“自分で人生を選びたい”という純粋な願いが、視聴者の胸を打ちます。
物語の本筋とは別軸ながら、この2人の旅立ちが「べらぼう」な世界を象徴するエピソードとして強く印象に残りました。
『べらぼう』第12回の総まとめ|文化とは誰のためのものか?
「俄なる『明月余情』」と題された第12回では、吉原の祭りを通して“文化の本質”を問い直すような物語が丁寧に紡がれました。
誰かが主導するのではなく、誰もが楽しめる“場”としての文化──その思想が雀踊りの共演や冊子の制作に込められていました。
蔦重はその中心で奔走しながら、自身が「何のために出版するのか」という根源的な問いと再び向き合っていきます。
蔦重が信じた“記録すること”の意義
祭りの記念として作られた『明月余情』は、ただの記録ではなく、“その夜の情熱と空気”を未来に残す文化遺産でした。
平沢の文章、春章の挿絵、蔦重の編集──それぞれの力がひとつに重なり、江戸の一夜を超えて、人の営みそのものを物語に昇華しています。
この発想は、のちの出版文化や庶民文芸にも通じる、先駆的な試みでした。
武士と町人、女と男──“べらぼう”に描く多層の人間模様
この回では蔦重だけでなく、吉原に生きる人々一人ひとりの想いと行動が丁寧に描かれました。
異なる立場や背景を持つ登場人物たちが、それぞれの“べらぼうな人生”を生きながら、交差し響き合うさまは、まさに“人間讃歌”ともいえる豊かさがあります。
「文化は誰のものか?」という問いに対し、本作は答えを示すのではなく、その問い自体を“共有する時間”として提示しているのです。
- 吉原の祭り「俄」を舞台に文化の本質を描く
- 雀踊りを通じて人々が結束する感動の展開
- 平沢の正体=戯作者「喜三二」と判明
- 蔦重が『明月余情』制作に挑む意義とは
- うつせみと新之助の再会が“自由”を象徴
- 文化は誰のものかを問う深みある回
コメント